リリー創業ストーリー② 〜 これまでのリリーの歩み 〜
2022年10月21日
前回は、リリーの創業までのいきさつを振り返りました。高い理想を掲げ新たな一歩を踏み出したリリーですが、例に漏れず創業期は苦難の連続でした。苦しい時期を耐えながら、理想の実現にむけて模索する様が今回の記事になります。
様々な開発を続けながら、紆余曲折を経て、当初掲げたミッション、ビジョンに合うようなリリーらしいスタイルを徐々に確立してきたように思います。
無我夢中の創業期
理想を掲げ、気持ちも新たに創業したリリーですが、実はオフィスが無かったのです。そこで鹿児島のエンジニアコミュニティで知り合い、仲良くさせてもらっていたユニマルさんのオフィスの一角を、ご厚意でお借りすることができました。何もないリリーに手を差し伸べていただき、今でも本当に感謝しています。
そうしてリリーはその第一歩を踏み出しましたが、当然ながらゼロからのスタートということもあり、お金も案件もありません。高い理想を掲げて創業したリリーですが、理想の前に大きな「現実」が立ちはばかっていました。理想を実現する前に潰れてしまったら元も子もありません。まずは潰れないようにキャッシュを稼ぐことが重要でした。そこでまずは、とにかくどんな案件でも受けることにしました。逆に言うとそれしか選択肢が無かったとも言えます。理想の実現のため、まずは覚悟を決めて目の前の案件に必死に食らいつきました。
そうこうして、数ヶ月が経った頃、以前働いていた時のメンバーである田中(現CTO)が突然オフィスにやって来ました。そして「野崎さんと一緒にやりたい」と言うのです。彼とは以前の会社の同じ部署のメンバーではありましたが「部下の部下」であり、密に同じ業務をやったわけではなく、10歳ほど年齢も離れており、業務外での交流もあまりないメンバーでした。
しかし、エンジニアとして、技術に対する前向きな姿勢を持っていることは、ことある場面で見てており、そんな田中からの申し出は、嬉しいことではありました。しかし、なにせ、雇うお金の余裕がありません。そのことを話すと「自分の分くらいのお金は、稼ぐので大丈夫」と言います。少し考えましたが、自分の中で「1号社員として田中だったら心強いし、理念から考えても最適ではないか」という結論になり、一番最初の社員として迎え入れて、一緒にやっていくことにしました。
それから、二人体制での開発が始まりました。二人になって、開発の幅やできることも広がり、自分自身の技術力も高まったと感じていましたが、現状が劇的に変わる訳ではありません。リリーのような小さな会社の提案や技術は、なかなか認められることはなく、いただける案件を全て受けながら糊口をしのぐ日々が続きました。
この頃はいわゆる「炎上案件」のようなものが多く、単価が低かったり、他社が避けたような案件ばかりで、納期もきつく、最初の年の年末年始は、開発をしながら、田中と二人で過ごしました。この時に味わっていた、理想と現実のギャップ、そこからの様々な葛藤は、予想していた以上の苦悩があって、会社としての無力さを感じながら、経営の難しさの洗礼を受けた感じがしていました。
ただ一方で、それぞれの案件の難題を解決して納品していく中で、自分達の開発能力を評価していただく機会は増えていき、地道に続けることで、その評価が大きく、広がっていくはずだ、という希望も田中と二人で共有していました。また、難しい案件をこなすことで、顧客の期待、要望に応えることができた喜びなどもあり、苦しい時期ではありましたが、それはそれで今考えると楽しかったなと感じます。
初めての独立オフィス
創業から無我夢中で案件をこなし続けた結果、少しずつ、実績が積み上がっていき、リリーの評判も高まっていきました。まさに田中と二人で描いていたとおりです。また、開発業務と並行して、イベントの登壇などの機会も増えていきました。リリーの認知度向上のためという面もありますが、創業前に鹿児島のエンジニアコミュニティに所属したことによって大きな刺激を受けたというのもあり、コミュニティ活動がもっと広がればいいなと思い、自発的にも活動していました。
その一つが、2018年7月には、東証一部企業さくらインターネットさんとリリーの共催で「さくらじまハウス」という技術イベント。桜島で開催し、県内外から200名以上の参加者が集まりました。
イベントを通じて「鹿児島にリリーあり」という認知も取れてきましたし、何より日々の案件に真摯に向き合い、顧客の期待に応え続けたことにより業績は少しづつ拡大、安定していきました。
そして、お世話になったユニマルオフィスを卒業する日がやってきました。新しいオフィスはなんとプレハブ作り!プレハブのオフィスは、夏は暑く、冬は寒く、お世辞にも良い環境とはいえませんでしたが、ガレージ感があって、とても気に入っていました。何より独立オフィスを持てたことが嬉しかった。ここからもっとリリーを大きくするぞ!と一層気持ちが引き締まったのを覚えています。
余談ですが、プレハブオフィスに引越した時に知人の会社が廃車する予定だったフィット号を社用車として譲ってもらったんです。フィット号は客先訪問の際などに大活躍したのですが、プレハブオフィスの隣に自動販売機の塗装工場があったため、漏れ飛んでくる赤の塗料によって、車の片面が日に日に赤く染まっていきました。
リリーはその後、プレハブオフィスを卒業するのですが、引っ越しの際には、片面だけ赤く染まったフィット号をながめながら「もうこれ以上赤く染まらないのか」と不思議な寂しさを感じました。
共創型開発のはじまり
少しずつ環境が整いつつあったこの頃、ある業界に特化したサービスを展開している鹿児島のIT会社から「新規サービスを手伝って欲しい」と声をかけて頂きました。「構想は決まっているが、まだ試行錯誤している」というそのプロジェクト。社長に話を伺うと「この新規サービスで、業界の方達の仕事のあり方を前進させたいんだ」という話をされていて、とても共感を覚えました。
私自身、サービス作りにおいて「世の中のさまざまな産業に役立つものを創り出し、エンドユーザーやその業界、そして社会全体を良くしていきたい」と考えており、その社長の想いは、私の考えと合致すると感じました。ぜひ協力してこのサービスを成功させたい。そう強く思いました。そのためには、これまでやってきたような「作るだけ」ではなく、設計や技術選定やアイデア等の議論から参加し、一緒にサービスを作っていく必要があると考え、その旨を伝えたところ「ぜひ、お願いしたい。むしろガッツリと中に入ってもらって、一緒に(その業界を)前進させましょう」とおっしゃってもらいました。
このサービスは、現在、無事にリリースされ、業界の方から評価も得ており、利用ユーザーも拡大を続け、さらにより良いサービスになるよう進化を続けています。クライアントさんも喜んでおり、評価もいただきましたが、私としても創業初期にやっていた開発案件と異なり、「作って終わり」ではなく、継続してサービスの改善に携われることの楽しさややりがいを感じていました。
そんな頃、漁業のDXサービスを展開する長崎の会社から問い合わせがありました。その会社の社員の方が鹿児島の大学出身者で、リリーの評判を耳にして連絡してきたとのこと。そしてその後すぐに社長さん自らが長崎から鹿児島のリリーオフィスに訪れてくださいました。
社長は「持続可能な漁業を実現したい。漁業者が、今居る場所を起点に、どこでどんな魚を穫れば、効率よく利益が上がるか分かるようにしたい。効率だけでなく、乱獲を防ぐことにも繋がるんだ」と熱く語りました。さらに「最終的には、海をひとつの養殖場として見れるような世界を実現したい。そして、漁業者が高年収なのが当たり前の世の中にしたい。そのために、漁獲情報から市場の取引情報まで、漁業に関わるシステムを開発して、漁業のDXを実現していきたい」と壮大な構想を語ってくださいました。また「構想はあるのだが、自分たちには開発体制が無いので外部の開発会社の力を借りなければならないが、技術力だけでなく、我々のビジョンに共感して、一緒に作り上げてくれるような会社を探している。ただ、なかなか見つからなくて困っている」ともおっしゃっていました。
私はその社長の話に感銘を受け、リリーとして最大限の協力を申し出ました。また、私たちの力だけでは成し遂げられない部分は、鹿児島大学の先生が担っていだける開発体制もきまり、クライアント、リリー、鹿児島大学の力強い協力関係で漁業における壮大な課題解決に取り組むことになりました。
現在では、その構想は少しずつ実現され、その漁業のDXの取り組みが、「がっちりマンデー」や「ガイアの夜明け」等のTVメディアはじめ、様々なメディアにも取り上げられ注目されるようになりました。しかしまだまだ解決したい課題は残っています。現在も壮大な構想を実現するために進化を続けています。
このような取り組みと一定の成功体験を経て、単に技術を提供するだけでなく、現場やプロジェクトに踏み込んで「誰のために何をつくるか?」を一緒に考えて、開発していくことこそが、リリーのやるべきことだと考えるようになりました。実現したい世界観を共有して、要件を整理して、設計を議論して、サービスを形にしていく。そして現場に踏み込んで、エンドユーザーの声を聞いて、出てきた課題に対して、また、一緒にアイデアを出して、サービスをブラッシュアップしていく。
この開発の関わり方を「共創型開発」として、リリーの事業の中心に据えることにしました。
リリーの強みの確立
「共創型開発」を軸に据えたことにより、リリーの強みが明確になったような気がします。そして新たな依頼も次々に舞い込むようになっていきました。
鹿児島のISP会社との取り組みでは、ISP会社のネットワーク、インフラ技術を活かしつつ、リリーでサービス開発を担い、飲食店向けのテーブルオーダーシステムや障がいを持った方が在宅で仕事をできるようにするコミュニケーションツールを開発し、リリースしました。
海外から来訪される方向けに民泊事業を展開されている会社との取り組みででは、予約時の手続きで取得するパスポートの写真をもとに、民泊施設の入口に設置したタブレットで、顔認証を行い、入口と部屋の鍵が開くようにすることで、毎回待ち合わせを行っていた人的なコストとお客様の煩わしさを無くすようにしました。
製茶業をされている会社との取り組みでは、オンラインで、好みのブレンド茶を作って、注文できるようにすることで、質の高さを味わってもらい、ブランディングを高め、量産用の製茶販売だけでなく、オリジナルの製茶のチャンネルを持てるようにしました。
葬儀関連のサービスを提供している会社との取り組みでは、オンラインで葬儀に参加できるサービスを開発し、事情があって、オフラインで葬儀に参加できない方でも、オンラインで葬儀に参加できるサービスを開発しリリースしました。
警備会社との取り組みでは、少しでも身に危険を感じた際に、簡単に警備会社と連絡を取ることができ、差し迫った危険を感じた場合には、警備員を呼ぶことができるアプリを開発し、リリースしました。
その他にも多くの案件に携わっていきました。取り組んだ産業は様々で、それぞれの産業が抱える本質的課題を知ることができ、また自分たちの技術でその課題を解決していくことは、自分が前職で、考えていた「もっと他の業界、業種にも携わりたい」ということを実現するもので、また、創業の際に自分の理想とする会社の定義として決めた「エンジニアにフォーカスがあたる会社にする」「やりたいことをする。創りたいのを作る」という考えにもマッチしました。
「エンドユーザーと向き合える自社サービスの開発運営こそが、最終的な目標」と思っていた時期もありますが、リリーの「共創型開発」は、自社サービスをやるのと変わらない気持ちでそれぞれの案件に向き合っていることに気づきました。共創型開発の取り組みを通じて、リリーは、リリーらしい開発のやり方を確立できた。と考えています。
力強いメンバーが次々にリリーに集まり始めた
共創型開発の形が見え始めていた頃から、旧知のエンジニアたちがリリーのオフィスに遊びにくることが増えました。彼らは「エンジニアとして自分の技術力を発揮したいが、リリーではそれが最大限発揮できるのではないか」と考えていたようで、実際のリリーの開発現場を見にきていたようです。
私は「エンジニアが輝ける、エンジニアにフォーカスのあたる会社」を作りたいと思っていたので、その想いを感じたのかもしれません。そして、リリーの業務が拡大していくと同時に一人、また一人と彼らをリリーのメンバーとして迎い入れていきました。
そうして力強いエンジニアがそろってきたのですが、メンバーも10人に近くなってくるとマネジメントの問題も出てくるようになりました。私一人でマネジメントするのは難しい。そこで以前の会社で一緒に働いていた田井村(現COO)を誘うことにしました。彼とは前職で、10年ほど一緒に新規事業をやってきたエンジニアで、どちらかというと、私がゼロイチ、彼がイチヒャクの役割の関係性でプロダクトを作ってきていました。そんな彼ですが、私よりも数年早く前の会社を退職しており、エンジニアに疲れたのか、何故かエンジニアでない仕事についていました。
しかし私は「(田井村は)そろそろまたエンジニアに戻りたいのではないか」と考えていました。彼は生粋のエンジニアで、自らコードを書くことも好きだし、エンジニアに囲まれて働くのが好きだと思っていました。
そこで彼を誘ってみました。彼もそれを承諾し、リリーにジョインしました。田井村が入ったことで、彼を知るメンバーもそれを喜び、リリーとしてもマネジメントのリソースを分担することができるようになり、今まで以上に開発の体制を広げることができるようになりました。
また、様々な案件に取り組むうえで、デザインやUI/UX、フロントエンドの技術も大事です。これらに対応するために、またWEB制作の案件にも対応していけるように、それらに対応するリリーのメンバーも増えてきていて、そういったこともリリーの対応の幅を広げることができたひとつとなりました。
メンバーも10人を超えてきたので、いよいよプレハブオフィスに入り切らなくなったため、引っ越しをすることにしました。新しいオフィスは、今度はしばらく長く居られるように、ある程度広さの場所を探して、良い感じのビルのワンフロアに決まりました。
さらなる進化へ
この頃、世間では、様々な産業で、デジタル技術を活用してビジネスを変革するいわゆるDXを推進することの必要性があちこちで話されるようになっていました。
リリーの共創型開発は、まさにこれらの取り組みを先駆けのようなものだと考えています。いち早くDXに取り組み、実績を積み重ねたことにより、県内外を問わず、様々な産業の方々から案件の相談がくるようになっていました。また、メンバーが増えたことにより、大規模なシステムにも対応でき、多様な技術で、難題も解決する体制が整ってきており、現在に至るまで、まさに良い体制が整ってきています。
システム開発だけではなく、WEB制作についても体制が整ってきたことで、大学やチェーンスーパー、鹿児島県事業のホームページ制作や運用等の比較的大規模なホームページの制作も請け負って答えることができるようにもなってきました。
また、新しい流れもあります。宇宙ビジネスへの参入です。きっかけは、さくらインターネットさんが経産省から委託を受けて開発をしていた、宇宙データ利活用のためのプラットフォームTellusのプロジェクトに、開発パートナーとして参画したことです。
Tellusプロジェクトに携わるようになったことで、宇宙データの利活用の面白さや可能性を知ることになり、関連のありそうなシステムやサービスに宇宙データ利活用の提案等を行ったりもするようになりました。
これらの活動を評価され、九州経済産業局主催の講演に出たり、冊子で取り上げられたり、鹿児島県の宇宙事業の勉強会にもソフトウェア企業として参加させて頂き、発射場をもつ鹿児島県のハードウェアの会社とも交流をさせていただく機会も頂きました。
今では、宇宙事業についてもなにかできることはないかと考えていることの一つになっています。
ここまで、紆余曲折しながら進めてきた何年かの経過を経て、リリーは良い形に成長してきたと思っています。ただ、まだまだ、やれること、やるべきことは多くあり、満足感はもっていません。リリーはまだ何かを成し遂げたところまできていないのです。